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東京地方裁判所 平成7年(ワ)10426号 判決 1996年3月26日

東京都中野区若宮二丁目四番二号

原告

高橋康樹

千葉県木更津市富士見二丁目七番一八号

木更津税務署内

被告

川畑周悦

東京都中野区中野四丁目九番一五号

中野税務署内

被告

佐藤信也

東京都千代田区霞が関一丁目一番一号

被告

右代表者法務大臣

長尾立子

右指定代理人

小尾仁

高野博

田部井敏雄

町田茂

井上良太

荒川政明

主文

一  原告の請求をいずれも棄却する。

二  訴訟費用は原告の負担とする。

事実及び理由

第一請求

被告らは、原告に対し、連帯して金九五万円及びこれに対する訴状送達の日から支払済みに至るまで年五分の割合による金員を支払え。

第二事案の概要

一  争いのない事実

1  被告佐藤信也(以下、被告佐藤」という。)は中野税務署個人課税第三部門所属の大蔵事務官として所得税等に関する事務に従事していた者であり、被告川畑周悦(以下、「被告川畑」という。)は同署同部門所属の統括国税調査官として所得税等に関する事務及び部下職員の指導監督の職務に従事していた者である。

2  中野税務署長は、平成七年三月一四日、原告が提出した平成六年分の所得税の確定申告書(所得税法一二二条による源泉徴収税額の還付を受けるための申告書)を収受したが、右確定申告書には、有限会社両国学習塾からの給与の明細書は添付されていたものの、同条三項により添付又は提示することを要する右給与所得に係る源泉徴収票が添付されていなかった。

3  被告佐藤は、平成七年四月一九日、原告に対し、前記両国学習塾からの給与所得に係る源泉徴収票の提出を求める葉書を送付したところ、同年五月二日頃、原告から源泉徴収票が提出された。右源泉徴収票によると、源泉徴収税額は五万一七五六円であるところ、原告提出の前記確定申告書に記載された源泉徴収税額は五万二八六〇円であり、右源泉徴収票による源泉徴収税額より一一〇四円過大に記載されていた。

4  そこで、被告佐藤は、税務署長が行う行政指導として、修正申告書用紙(甲八)、修正申告書の提出をしょうようする文書(甲七)及び中野税務署宛の返信用封筒(甲九)を同封して、平成七年五月九日、原告に郵送したが、右の修正申告書用紙の切取線上部の「修正前の課税額」欄、「修正申告額」欄及び「修正する額」欄、切取線下部の「申告納税額」欄及び「納付すべき税額又は還付される税額」欄並びに切取線上部及び下部の各「納税者番号」欄にそれぞれ所定の事項が記載されていた外、右の修正申告書用紙の切取線下部の「住所氏名」欄及び修正申告書の提出をしょうようする文書の宛名には、「中野区若宮二-四-二 高橋正俊」と記載されていた(なお、被告佐藤の供述により、同被告が右の記載をしたことを、弁論の全趣旨により、その頃、原告が右の郵送された各書面を受領したことをそれぞれ認めることができる。)。

5  平成七年五月一二日、原告から佐藤宛に、同被告が送付した修正申告書用紙の記載内容に関して、記載された数字には誤りがないが、右文書に他人の名前である「正俊」と記載されていたとして、右行為に対する謝罪文の交付、提出期限の延長及び正確に記載した修正申告書の再送付等を求める書留内容証明郵便が配達された。

6  被告川畑は、平成七年五月一六日、原告宅に電話をし、就寝中の原告に代わり応答した原告の母親に対して謝罪した。更に、被告川畑は、同月一八日、原告宅に電話をかけ、電話に出た原告に対し、翌一九日午後謝罪のため訪問したい旨を申し出、原告がこれに同意したので、同一九日午後、原告宅を訪問したところ、応答に出た原告の母親が原告は不在であると答えたため、右母親に対し、改めて謝罪するとともに自身の名刺と持参した菓子折を託して、原告宅を辞去した。

7  平成七年五月二二日、原告から被告川畑宛に、訪問の申し出を受けたのは謝罪の申し込みを承諾した訳ではない、今回の中野税務署の一連の行為は、慣習上から寛容の精神をもって許容するにはあまりある疑義がある、民事法廷で争うなどと記載した書留内容証明郵便が配達された。

二  原告の主張

1  被告佐藤の責任について

被告佐藤は、原告に対し、平成七年五月九日付の郵便でもって、原告の名前だけを間違えた修正申告書を送付したが、右行為は単なる過失を越えた公権力行使による故意の個人干渉(公権力濫用による嫌がらせ)に当たり、公務員の職権濫用かつ虚偽公文書の作成及びその行使であり、これでもって原告の私権を不当に侵害した行為である。被告佐藤には、原告の受けた精神的損害につき、民法七〇九条、七一〇条による責任がある。

2  被告川畑の責任について

被告川畑は、原告に対して被告佐藤がなした不法行為が原告において発覚するのを押さえるか、遅延させるか、あるいは又、右不法行為の原告における追及意思を消滅させるか、留保させるかなどを目的として、原告に対して道義的に謝罪するという擬制の意思表示をなし、実際のところも、原告の母親に対して菓子折までをも持参して繰り返し謝罪することにより、事実上被告佐藤が原告に対してなした不法行為の成立及び存在を隠匿又は保護する幇助行為をなした。被告川畑が被告佐藤がなした不法行為の共同正犯者か従犯者かは別として、いずれにしても、被告川畑の行為によって、原告においては被告佐藤の不法行為により被った私権の侵害により発生していた精神的苦痛等を更に深められた。被告川畑にも、原告の受けた精神的損害につき、民法七〇九条、七一〇条による責任がある。

3  被告国の責任について

被告国には、被告佐藤が、公務員としての職務上からなした不法行為により原告が受けた精神的障害につき、国家賠償法一条一項による責任がある。

三  被告佐藤の主張

原告主張の被告佐藤の責任については争う。原告の被告佐藤に対する請求は、要するに、被告佐藤が原告に対して郵送した修正申告書用紙に、原告の名前を間違えて記載した行為が、公権力の行使のよる故意の嫌がらせに当たるなどして、損害賠償を求めるものであるが、被告佐藤が国家公務員として行った職務行為を理由とする国家賠償の請求であることが明らかであるから、国が賠償の責に任ずるのであって、公務員個人はその責を負わないものと解すべきであり、この点において既に原告の右請求は理由がない。又、被告佐藤の行為は原告に対する不法行為が何ら存しないから、原告の被告佐藤に対する請求はこの点においても理由がない。

四  被告川畑の主張

原告主張の被告川畑の責任については争う。原告の被告川畑に対する請求は理由がない。

五  被告国の主張

原告主張の被告国の責任については争う。被告佐藤及び同川畑のいずれの行為も、国家賠償法一条一項の要件に該当しないことは明白であって、原告の被告国に対する請求は理由がない。

第三判断

一被告佐藤に対する請求について

1  原告は、被告佐藤が原告に対し、原告の名前だけを間違えた修正申告書を送付した行為が、公権力の行使による故意の嫌がらせに当たるなどと主張するが、その根拠として原告が供述ないし主張する点は、被告側の本件訴訟の前後の態度を見比べると、被告側が虚偽を働いていると判断できるなどという曖昧なものであったり、その他原告独自の見解に基づくものであって、到底第三者を納得させるに足りるものとはいえない。これに加えて、前記第二、一記載の各事実及び被告佐藤の供述によれば、同被告は、これまで原告と全く面識がなく、本件当時、中野税務署に提出された多数の確定申告書を審査し、その不備等の補正を促すなどの事務を大量に処理するうち、その間、原告に対し修正申告書の提出をしょうようする文書等を郵送した際、右の文書や同封の修正申告書用紙に不注意で原告の名前を誤記したことが認められ(同被告の供述によっても誤記の原因は明らかでないが、右のような場合、同被告にとって誤記の原因が不明であることも当然ありうる。)、同被告が故意に原告の名前を違えたものとは認められない。

2  右のとおり被告佐藤が修正申告書用紙等に誤って原告の名前と異なる名前を記載したとすると、過失による同被告の責任が問題となるが、同被告が原告に対し、修正申告書の提出を促すために、その用紙等を郵送した行為が、公権力の行使に当たるか否かは暫く措き、前記のような同被告の過失の態様や名前の誤記により通常受ける不快感等の精神的苦痛の性質、程度を考慮すれば、同被告の右過失行為については、法的な損害賠償義務を生じさせる程の違法性及び精神的損害が存しないものと認めるのが相当である。

二 被告川畑に対する請求について

原告は、被告川畑が、謝罪を装って、被告佐藤の原告に対する不法行為を隠そうとしたなどと主張するが、原告の供述によっても右の主張が格別の根拠がないものであることは明らかである上、前記第二、一記載の各事実に示された事実の経過に照らしても、被告川畑は、送付された修正申告書用紙等に名前を誤記されたとする原告からの抗議に応じて、単に謝罪のため原告宅を訪問するなどしたにすぎず、他に格別の意図もなかったことが認められるから、同被告の行為には何らの違法性もないし、又、これによって原告に何らかの損害が生じたことも認められない。

三 被告国に対する請求について

原告の被告国に対する請求は、被告佐藤、同川畑の違法行為とこれによる損害の発生を前提とするところ、既に述べたとおり、右被告らの違法行為及び損害の発生についてはいずれもこれを認めることができない。

四 以上を要するに、原告の被告佐藤及び同川畑に対する民法七〇九条、七一〇条に基づく請求並びに被告国に対する国家賠償法一条一項に基づく請求は、その余の点を判断するまでもなく、いずれもその要件を欠き失当といえるから、これを棄却することとし、主文のとおり判決する。

(裁判官 荒井九州雄)

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